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The World Tipiṭaka Presentation
to Aichi Gakuin University, Nagoya, Japan
21 November B.E. 2551 (2008)

Tipitaka Presentation in Nagoya 2008

御礼のご挨拶

まず何よりも最初に、この度、タイ国王室のGalayani Vadhana王女殿下の御逝去あそばされましたことに、深く哀悼の意を表します。

さて、Dhamma SocietyのChancellor、Maj. Suradhaj Bunnag様はじめ、皆様方には、王女殿下のご大葬直後に、こうしてはるばる日本国のしかも名古屋までおいでいただき、今は亡き王女殿下の御名において、新刊ローマ字版パーリ三蔵Mahāsaṅgīti Tipiṭaka Buddhavasse 2500 全40巻を贈与賜りますことは、誠に尊く、有難いことと厚く御礼申し上げます。

ここ日本におけるパーリ語研究は、19世紀末、高楠順次郎博士がイギリスに学び、東京大学で初めて講ぜられたのが最初であります。そのあと、長井真琴博士や私の恩師水野弘元先生らがこれを継承発展させられました。それと同時に、駒沢大学、大正大学、大谷大学などの諸大学にも優れた学匠が輩出してひろく研究が進められました。やがて日本全国の多くのパーリ学者が参加して、パーリ聖典の日本語訳として、1941年『南伝大蔵経』65巻70冊の完成を見たのであります。

しかるに1945年、太平洋戦争のあと、日本は惨憺たる壊滅状態となりました。1947年、私は東京大学に入学し、すぐにパーリ語の学習をはじめましたが、研究室にはテキストも少なく、パーリ語の辞書も入手できませんでした。1960年、私は研究上の必要があって欧米からアジアにわたり、世界中にパーリ語のテキストを求め、その収集を始めました。今では、私のライブラリーは、日本で最善のものとなっています。今回、タイ国の新しいローマ字版パーリ三蔵をいただいて、その完璧を期することができましたことは、喜びこれに過ぐるものはありません。厚く御礼申し上げます。

ここで少し説明をお許しいただきたく存じます。
釈尊の時代(西暦紀元前6-5世紀)、インドの強国はマガダであり、釈尊はおそらく古代マガダ語を話されました。南方の上座仏教では、それがパーリ語となったと信ぜられています。パーリとは「聖典」という意味であり、パーリ語とは「聖典語」ということであります。ただ学問的には、仏教が東インドのマガダから西インドに伝わる中で、パーリ語が聖典用語となったと考えられます。紀元前3世紀、アショーカ王時代にパーリ仏教がインドからスリランカに伝わり、やがてビルマ、タイ、カンボジア、ラオスなどに伝わりました。

ところで、釈尊入滅後まもなく、王舎城において五百人の比丘が集まり、第1回の聖典編纂会議、つまり大結集が行われます。それから数えて第6回目の大結集が、1956年、仏紀2500年を記念して、ビルマのヤンゴンで開催されました。上座仏教を伝える国々から高僧智識がほとんどすべてと言えるほど集まり、パーリ三蔵の口合わせをして聖典編纂が行われました。このときの成果は、ビルマ文字で出版刊行されました。第6回結集のビルマ版三蔵は、上座仏教としては、きわめて権威ある聖典であります。しかし出版の直後、ビルマに政変が起こり、それ以上事業の発展ができなくなりました。

今回タイ国のローマ字版パーリ三蔵は、ビルマ版を定本としつつも、これまでに各国で出版されている18種に上る版本を比較検討したもので、50名のコンピュータ技術者を動員し、3年間にわたり、厳密な訂正を施したもので、タイ国の国威をかけた世紀の大事業であります。その責任に当たられたのが、本日ご来席の Maj Suradhaj Bunnag氏をChancellorとするDhamma Societyであります。

他方、仏教は北西インドからシルクロードをわたり、中国・韓国・日本へ伝わり、北伝の仏教となります。釈尊以後、インドの仏教は部派に分かれ、釈尊時代の原始仏教から部派仏教、大乗仏教、密教と展開し、12世紀末、仏教はいったんインドで滅亡いたします。現代インドの仏教は近代になって、スリランカから復興ののろしを上げたものであります。大乗仏教の一部は、南方にも伝わりますが、南方仏教ではパーリ仏教の伝統を守り継いで来ました。

これに対し北方では、原始仏教や大乗の経典を多くはサンスクリット語で伝え、すべてが仏説とされ、大乗仏教がひろく発展することになります。釈尊の教えを伝える原始仏教の聖典は、北方で漢訳されて『阿含経』(Agama-sutra)となりました。しかし大乗仏教が盛んとなり、大乗の仏典が次々と翻訳されました。日本の学者は、大乗の成立について精力的に研究してきましたが、まだよく分かっていない部分が多く、しかも大乗の経典は全体としてまとまりがありません。パーリ三蔵は、経律論が整然としてまとまり、まさに釈尊の教えが良くまとめて伝えられていることが分かります。やはりパーリ聖典は、その成立から見て、釈尊直伝の基本的な根本聖典であります。

日本の仏教は宗派仏教であり各宗の宗祖が崇められていて、釈尊が忘れられがちであります。しかし仏教にとって釈尊が開祖であることは、申すまでもありません。釈尊の右に出られる祖師はありません。私たちはそのことを再確認したいと思います。世界の仏教は、釈尊によって一つになれるのです。道元禅師も親鸞聖人も、また日蓮聖人も、それには賛意を表せられると思います。

ここでまた、元に戻りたいと存じますが、私たちは、パーリ三蔵に接するとき、直接釈尊からの呼びかけを受ける心地がいたします。例えば、釈尊が弟子の比丘らにお話をなさるとき、bhikkhave, bhikkhaveとよびかけられています。釈尊ご自信の口調が、そのまま残されているように思われます。

太平洋戦争の後、日本の経済の復興と共に、パーリ研究も盛んとなり、優れた諸学究による新しい翻訳が、次々と出版されるようになりました。その多くは、ロンドンのパーリ聖典協会(PTS)本からの翻訳であります。最近では第6回結集ビルマ版からの新訳もまたかなり出版されました。近い将来、今回のタイ国ローマ字新版からの研究や新訳もまた大いに期待せられるところであります。

今日、日本のパーリ研究は、経・律・論の三蔵から、歴史書、文法書、さらに注釈文献に進み、その研究や日本語訳も成果を上げております。私どもは近い将来また注釈文献の贈与をお願いしたいと存じます。注釈文献を読むことによって始めて、パーリ三蔵の理解が正しく深くなると考えています。

従来、アジアの上座仏教国では、パーリ聖典をそれぞれの国の文字で出版してきました。それはその国にとっては当然のことであります。私は大学院でパーリ文献のゼミを担当していたとき、院生に二年間に、タイ文字、ビルマ文字、スリランカ文字とインドのデーヴァナーガリーの四文字の自学自習を課し、前期、後期の年2回のパーリ語読解の試験には、それらの文字で出題いたしました。院生にとっては、悩みの種でありました。しかしこれからは、タイ文字とスリランカ文字の二種類くらいで済むことになるのではないかと思います。

今回のローマ字版パーリ三蔵のご出版は、アジア人の手になる初めての壮挙であり、世界の人々に釈尊の仏教を知らしめる大聖業であります。今後も日本の学問研究は、遅々とではありますが、着実に進むことと思います。

1988年、わが国でパーリ語を研究し、さらにひろく仏教文化に関心を有する研究者が相集まって、パーリ学仏教文化学会(Society for the Study of Pali and Buddhist Culture)を結成して、毎年学術大会を開催し、機関誌『パーリ学仏教文化学』(Journal of Pali and Buddhist Culture)を発刊して参りました。現在では海外からの会員あわせておよそ220名、パーリ学を冠する日本唯一の学界であります。内閣府の管轄下で活躍する日本学術会議(Science Council of Japan)にも参加して参りました。特に海外の上座仏教に関心を持ち、多くの研究者との学術交流に尽力しております。

なお、学問研究と並んで、日本における最近の注目すべき動向は、生きた上座仏教が進展しつつあることであります。誠に感銘深く、注目しています。欧米の諸国においては、キリスト教の世界にあって、すでに数多くの寺院や瞑想センターが各地で広く活躍しています。アジアではイスラムや社会主義との間に困難な状況が生み出されています。私は仏教の研究に携わる者として、現代の状況に深い関心を寄せています。

仏教は釈尊を開祖とし、パーリ三蔵は釈尊の説法を直に聞く思いのする聖典であります。世界の仏教は、源をそこに発して、世界に展開しています。いまや地球規模の世界の危機が叫ばれている時、これを救うために仏教はどのような提案ができるでしょうか。五戒、八戒をはじめとする戒律や四諦八正道のような教法ももちろん大切ではありますが、今私はここに次の4点をあげたいと存じます。

第一に、釈尊がその生涯において、まず自ら菩薩の道を歩み、座禅瞑想して開悟成道し、仏陀(Buddha)となり、さらに転じて如来(Thathāgata)となって、世のため人のため、一切衆生の利益のための働きをなさったところに、仏教の開祖としての完成された聖なる御姿があること。そしてその生涯の最後に釈尊は完全なる涅槃、すなわち大般涅槃 にお入りになったこと、そこに最高究極の価値があると思います。。

第二に、現代の激しい競争社会の中にあって、釈尊の教えられたように、人誰もが己れに打ち勝つことが、真の「勝利者」(Jina)であることを認めること。

第三に、世界の人々がsustainable development(持続可能な発展)を合言葉にしている中にあって、釈尊がその三衣一鉢の生活で示されたように、人間の欲望を抑える「知足」(santuṭṭhi)の実践こそが人の道であることを認めること。

第四に、世界の最悪の事態は戦争でありますが、釈尊がその生涯で少なくとも二度戦争を抑止せんとしてStop the warと立ち向かわれた平和への努力に学ぶべきであり『法句経』第五偈にいうavera(恨みを捨てよ)の精神が必要であるということ。

以上の四点であります。
人類の運命共同体である宇宙船地球号が最悪の事態になっても、真の平和を貫くべきことを教えているのがパーリ聖典であると理解しています。すべての仏教徒は、一度は釈尊の説かれたパーリ聖典の原点に帰るべきであり、そこからまたさらに新しい仏教を発見すべきであります。

パーリ三蔵40巻は、まさに人類の至宝であります。遥々遠く日本の、しかも名古屋までお運びくださいましたご温情とご足労に対し、ここに重ねて甚深たる誠意を表したいと思います。

そして最後になりましたが、今回、泰国と日本との間にあって、ローマ字版パーリ三蔵の贈与に深く関与せられ、あらゆる犠牲を払い、名古屋のみならず、東京や関西にわたり諸大学や研究機関等に、仲介の労を劣りくださいました日本テーラワーダ仏教協会の皆さま方、特に会長の小西淳一様の並々ならぬご尽力に心から御礼を申し上げます。

仏紀2551年11月21日
パーリ学仏教文化学会会長
前田恵學

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